事実は小説よりも奇なり。

Akane’s blog 備忘録

明日から仕切り直しのはず。

仕事を1週間休みました。

最初は娘の風邪から始まり、私の体調?心境?が悪くなりそのまま、会社への勤怠の連絡も子供の風邪が→私の具合が→心身ともに滅入っており…みたいな抽象的なものへと変化しました。

明日は営業のミーティングのあと

私の振り返り面談なんてあったり、

下手すると派遣元の人もやってきたり、

他の上司にランチに誘われたりと目まぐるしくなるのかな。

いらぬ想像はしないでおこう。

 

ただ疲れていたのは確かなようで、全く人に会いたいとも寂しいとも思わず

ぼんやりとお風呂に入ったり、娘と散歩したり、三食作るので夜以外は少しだけつまんで、夜はやっぱり過食嘔吐辞められないのですが

誕生日はしてないけど。

そんな生活を送ってたら、お薬を使うことなく何年かぶりに生理が来たり、便秘が治ったりしました。

 

1週間休んだことで

自分のキャパがわかったというか、社会不適合さを再度確認したというか。。

 

明日からは仕切り直し

仕事に行くつもりではいます。

昔から仕切り直しっていうのが苦手で1つダメだともうドミノ倒し状態に陥るところがあって、

高1の6月に喫煙で停学、自宅謹慎になったとき、私はそれまで母親に向かって暴言を吐いたりしたことはなかったのだけれど

辞めてやる

学校なんて行かない

を玄関で連発してその辺にある靴を投げまくって大暴れしました。、ビンタされまくったけど。

 

ただ学校で事情聴取的なものを受けて喫煙がバレて、担任に次いつ学校来れるかわからないから必要なものは持って帰りなさいと言われた。

 

ちょうど中間考査前で、点取り虫の私は、学校を辞めるつもりでも、もしテストを受けるのならそれなりの点を取って辞めてやると思った。

 

なんだかよくわからない反抗心だけど、

学年主任から家に送ってもらう車の中で、どうせ遊んでばっかりで成績も良くないんだろ?みたいなこと言われたし。なんか悔しかった。

 

無事に謹慎期間を終えて、テスト期間中も寝る間を惜しんで勉強して、それまでの私史上最高点を修めた。もう、これで悔いなく辞められるって思った。

 

さしたら、担任に呼ばれて、これからのはなしになったとき、私辞めますよ。学校。

っていったら、仕切り直し。

人は仕切り直しが出来るんだよと、教えてくれた。

ずっと挫けそうになったらその言葉を思い出していた。

母親が先生の言った仕切り直しという言葉に感銘を受けたのか

私によく使っていたけれど、母に言われても全く響かなかった、

 

何度も何度も何かあるたびに仕切り直しって思うのだけど、やっぱり1人だと挫折することがたくさんあって、あ、まただめだったか。って思うことが多い。

 

今は明日からの仕切り直しに絶賛震え中だし。

大体仕切り直すのに遅いなんてないわけないやん?

33で仕切り直すの?

 

仕切り直し<<<<無理

っていう脳内、どうにかしてほしい。

いや、私がどうにかしなきゃ。

 

仕事が嫌なわけではない(と思う)

のだけど、仕事に今週入ってからいけてない。

ここのところ欠勤も多いし。

仕事に対する賃金が低いからやる気が出ないのか、といっても時給で働く派遣社員なので行かなければ行かないだけ月給は減るんだけど。

 

せっかく土曜日には美容室に久々に行ったし、シャンプージプシーだったから、おすすめしてもらったのをAmazonでぽちって使ってるし。

ネイルだって、我が子に何色にする?なんて言いながら色変えたし。

 

外に出る準備は出来ているのに、いざ出ようとすると出られない。

 

私にしては本当珍しいんだけどコンビニすら面倒で過食嘔吐しない日が2日もあった。

べつにお腹が空かないわけではないから

冷凍ご飯を温めて食べた。

 

病院にも行けなくて、ついに薬が切れそうで、やっとの思いで行ってきたし、2週間分の薬を手にしたから私はその気になれば2週間は外に出なくていいかもしれない。

で、クリスマスごろにもう一度通院したら下手したら年明けまで出なくて済む。

 

昔コールセンターで派遣で働いた時に、半年間引きこもってました。っていう人がいて、何してたんですか?って聞いたらYouTube見てたら半年経ってたって言ってて、めっちゃ変人だわとか、なんかのネタだろ?って思ったけど、今なら十分過ぎるくらい理解できる。

 

だいたい夜眠れないのが嫌なんだよ。

私毎日朝5時とか寝てるけど大丈夫なのかな?

 

寝なきゃ体重増えるし。

浮腫みかな?半身浴した割に一キロくらい1日で増えてた。

 

そしてネグレクトってどこからをいうのかさっぱりわからなくなってしまった。

年に一回の日

誕生日でした

正確にはあと4時間くらい誕生日です。

 

33回目の誕生日。

お腹すいて冷凍ご飯チンして塩かけてお昼に食べて。

夜はお隣にもらったちらし寿司とおかず食べて、18時半には布団に入ってる。

 

またしても我が子を保育園に送っていく力がなく、仕事にも行けず、

病院にも行かず、処方箋も出しっ放しだから薬の在庫もなく。

 

明日は行動しなきゃなと思うけれど出来そうになく。

そんな気持ちで迎えてる。33才。

 

統合失調症で入院している母からお誕生日おめでとうのメールが来てとても嬉しかった。

通勤が辛い

別に行ってしまえばいい。

というかオフィスに入りさえすればそこはどこなのかなんて曖昧になる。

私の職場の近くにはギャラリーがたくさんあって、私が離婚した時地元に帰ろうかなと少し悩んだ時に、画家兼絵画講師をしていた母が、

私は人前に出るのは苦手だけど、絵はたくさんの人に見てもらうのが幸せだから、いつか東京で個展を開くためにも、私は東京に残っておいて。なんて笑って言っていた。

まさかあの会話から3年後に母が統合失調症の診断を受けて、精神病院の閉鎖病棟に入院することになるとは露とも知らず。

 

私が通勤が苦しいのは、そのギャラリーたちを横目にオフィスまで駅から歩く瞬間だ。

特に統合失調症として知られている現役の画家さんの個展や、母と親交のあった方の個展が開かれているときはとても辛かった。

 

母が入院するとなったとき、アトリエ兼自宅として借りていた古い一軒家を出ることになり、その際ほとんどの絵は親戚の手によって不用品処理された。

トランクルームを借りることや、色んな美術館に寄贈すること、母の母校の校長先生に連絡をとるなど、思いつく限りの手を使ったが、私の非力さで、結局絵は廃棄処分されたのだ。

 

私はそのときは泣いて泣いて、泣いてばかりいて、やっとのことで時間が解決してくれたのか、傷心も癒えたなぁと、また母がいつか筆をとる日がくるといいなと思えるまでには回復したつもりだった。

 

けれど、まだギャラリーを通り過ぎることはとても辛くて、東京にいる意味もよくわからなくなり、昔は母とギャラリーめぐりや美術館行くのが大好きだったのにどうしても足が遠のいてしまう。

 

キラキラしたもの、美しいもの、そういったものをなんとなく避けてしまっているのはこんな経緯があるからかもしれない。

 

昔は本当に繁華街も、ブランド物の路面店が立ち並ぶ街並みも大好きだったのに。

 

いつかまた心から綺麗。とか美しいとか、楽しい!って思える日が来ると信じて。

1番楽に死ぬ方法とは。

昨日は昼寝から起きたらありえない腰の痛みで、なに?片方だけギックリ腰とかあるん?といらいらしてました。

眠剤と安定剤をダブルぶっ込みで寝返りミスったのか。

夜は案の定眠れなくて朝の四時まで死にたい死にたいと死ぬ方法をずっと検索したり考えたりしてました。

私の祖母は1人は要介護で入院してて、片方は私も驚くほどのアクティブさで日本の名峰に登っています。

母は統合失調症で入院中、離婚してる父は新たなマーケットを求めて東京にやってきて自営。

(うまくいってないらしい)私は抑鬱状態、てんかんと日々の過食嘔吐で派遣OLを時短でなんとか週5やり、養育費なしのワンオペ育児に翻弄し、行政の助けを借りてなんとか生きているそんな感じ。週一の通院も欠かせない。

生きてる意味わからんくなるときそんなのもう数えられない。土日は子供いるのに生きる屍状態で、ただの家事マシンのようだし、我が子はこれで幸せなのか?なんて疑問は日々湧いてくるし。

こういうの全てが希死念慮に繋がったのかなと。今回は初めてというくらい細かく考えて、あ、子供1人残すのはかわいそう?だとしたら、無理心中になるよね。寝息をたてる我が子の横で、私この子を殺めれる?刺す?無理。首絞める?無理。絶対無理だ。。

例えばそこのラインはクリアしたとして、私は?首吊り。でも、なるべく早期発見してほしいから、子供を殺しましたって警察に電話した瞬間に首吊って、微妙なタイミングで助けられて後遺症が残って、子供は失くして。って最悪だし。

じゃあ、子供は生き残るっていう道を選んだとして、私の死体は見せたくないから、人身事故?日に3件くらいは起こってるらしいけど損害賠償すごいらしい。

今のうちの状態で誰が払うんだろう。

そんなこと考えながら、結局今日も仕事に行った。ホームで電車待ってて、え、もし飛び込むとしたらどのタイミング?変に速すぎたらブレーキかけられて私生き残るやん?ぜんぜんわからん。

って思ってるうちにだんだんと死ぬことは生きることより大変なのかもしれないと思ったわけです。

 

自分の死ぬことを考えていて、その中で我が子のことをたくさん考えて、何度も何度もなんで産んだんだろうとかなんで離婚しちゃったんだろとか、私が不甲斐ないからだとか色んなこと思いながら育ててきたけど、そんな中でも、やっぱりこの子には生きてほしいなという気持ちでいっぱいになったから不思議でした。

 

人並みにはなれないかもしれないけど、ちゃんとママになろうって思った。