事実は小説よりも奇なり。

Akane’s blog 備忘録

某書店にて

f:id:realaipeepoo:20150704153202j:image病院が終わって、母親に折り返しの電話をしても繋がらないので本屋に行った。

今日は二冊の本を読破した。
一つは我が子が野菜を食べない問題に悩んでいる私への、子どもが野菜嫌いで何が悪いのか?という本。
子どもが緑の野菜を嫌うのは本能的なものだ。ってことで、確かに大人になっても野菜を全く食べない人はいないし、ピーマンなんて嫌われ者野菜ランキング第一位だけど、私は大人になってもピーマン好んで食べないし、別に困ることもない。まぁいいか。と思った。

問題はもう一つの本である。


なぜふつうに食べられないのか: 拒食と過食の文化人類学

なぜふつうに食べられないのか: 拒食と過食の文化人類学

この本欲しい!って思ったけれど、何せ2500円だったので、時間もあったし読破した。
速読並みに読んだので細かいところはさらりとしか読んでいないけれど。


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こんな感じ。
摂食障害に関しては、
  • 痩せ体型の正当化、美化
  • 母親との関係性
  • ダイエット志向
  • ジェンダー
なんやらかんやら情報錯誤でおかしなことになっているのだけれど。
※おかしなとは、不可思議なってこと。

何通りもの症例に基づいて更には他国の摂食障害に対する見解と比較してあり、日本人的思想に根付いた学説が一人歩きしているのだなと思った。
家庭環境が私をこうした。
私の先天的な性格がこうした。
歪んだ認知。
偏った完璧主義
現代社会の痩せ志向
食の欧米化
飽食の時代

まぁ、色んな要因があって、でもそれは私にだけ降りかかるものでもなく、どんな環境でも健やかに育つ人もいるし、私とは違う病気になる人もいる。

私はただ単に、色んなことが絶妙な配合で、偶然のタイミングで起きた化学反応で摂食障害になったのだ。

故に、誰を責めるとか、何を責めるとか、そういう因果関係の法則は成り立たないのだ。

49対51でも、51の方が有意とされる。
そういう統計学的にみて、何となく分析したい人たちが、因果関係を説いているのだ。

親に対する不満を延々と述べるシーンもあるし、だからと言って親に全責任があるなんて言ってるわけでもないとか、とにかく答えはない。

とにかく、私は1998年まで政府が三歳神話を公言していたことに驚いたし、20世紀後半は、経済発展の為に性別分業が推進され、家庭のことは母親に丸投げされ、そののち女性の社会進出が推し進められ。。と変化と共に困惑していたのだ。
日本で摂食障害なんてことが知り渡るのは遅かったし、色んなタイミングの兼ね合いでかわいそうなことに母親という存在に摂食障害の原因がなすりつけられる結果となったのだ。

私の母親は、私が摂食障害だということは知っているけれど、詳細は知らないし、理解はしていない。
自分のせいで我が子がおかしくなったなんて思いたくない気持ちはわかるし、そんな病気に真正面から挑めるほど人は強くない。

この本で、母親が要因の一つであるかもしれないけれど、原因ではないということがわかる。
私って摂食障害者の典型やんって恥ずかしくなって笑ってしまって、そのうち自分のことが描写されてるようで涙が出るほど気持ちがそのまま書かれている。

本を読んで、本屋で泣くなんて久々だった。

私の気持ちが丸わかり!だから母親に読んで欲しいし、母親が重荷に感じていることが解消されたらいいなとも思うから読んで欲しい。

けれど逆効果になるかもしれないからやめておこう。

いい子を墓場まで演じ続けようと私はやっぱり思うのです。。

adiós!